宮城三成さんの登り窯は金城次郎さんが組んだ登り窯になります。
しかし、残念なことにというか、三成さんにとってはラッキーなことに、経年劣化が進み3月に潰して作り直しをするそうです。
宮城三成窯の歴史
宮城三成さんお祖父金城次郎さんが組んだ釜です。
1946年(昭和21年) 那覇市壺屋に工房を開きました。終戦の翌年には新垣栄徳の窯を共同使用。濱田庄司、河井寛次郎らの指導の元で壺屋焼を守り発展に努めた方です。
その後、次郎さんの一番弟子であった宮城智と、次郎の長女である須美子さんが使用したようです。(ごめんなさい定かでない)
三成さんの記憶ではこの窯の上で遊んでいておじいさんの次郎さんにこっぴどく叱られた思い出があるとか。
思い入れのある窯であったことは間違いないですね。
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窯をなぜ壊さなければならないか?
釜の左側面を見てもらうと分かるのですが、盛り上がってきています。
次の時には崩れるので、もったいないですが窯を作りなおすそうです。
新しい釜は誰が作るの
新しい釜は三成さんが作ります。
という事は、自分の思い通りの焼き物が作れる窯が出来るわけで、非常に期待してます。
また沖縄に行って今度は是非窯に火が入っているところを見てみたいですね。
以上です。