やちむんとは 沖縄の魅力的な焼物「やちむん」の歴史と特徴
※写真はすべて陶芸宮城のものです(インスタグラムでも更新しております。メッセージで直接ご購入も可能です。)
やちむんの歴史をたどる 沖縄には「やちむん」と呼ばれる美しい焼物があります。やちむんとは、沖縄の言葉で焼物のことを意味しますが、ただの焼物ではありません。
やちむんは、沖縄の歴史や文化、自然と深く関わっており、沖縄の人々の暮らしや心を表現しています。
やちむんは、ぽってりと厚い形状に力強い絵付けがなされた器や壺など、様々な形や色、模様があります。
やちむんは、沖縄の伝統工芸としても認められており、県内で定期的に行われる陶器市には地元客だけでなく観光客も多く訪れ、やちむんを手に入れようとします。
やちむんの歴史はとても古く、沖縄の焼物の始まりはおよそ6600年前に作られた土器といわれています。その後、中世に入ると、沖縄は海上貿易で栄え、中国や朝鮮、タイ、ベトナム、日本などから様々な陶磁器を輸入するようになりました。
これらの陶磁器は、沖縄の焼物に大きな影響を与え、技術やデザインが向上していきました。1616年には、薩摩から招いた朝鮮人陶工が沖縄の焼物の基礎を築き、1682年には王府が県内に分散していた窯場を那覇市壺屋に統合しました。
これが「壺屋焼」と呼ばれるやちむんの始まりです。壺屋焼は、王府への献上品としても利用され、王府は焼物作りの発展に積極的でした。
壺屋焼の種類と窯の変化 壺屋焼には、荒焼と上焼という二つの大きなタイプがあります。
荒焼(あらやち)
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荒焼とは、釉薬をかけずに約1120度で焼き上げた焼物のことです。
釉薬とは、焼物に色や光沢を与えるためにかけるガラス質の液体のことです。荒焼は、釉薬をかけないので、陶土の風合いをそのまま活かしています。
その名の通り見た目の荒さが特徴で、南蛮焼ともいわれます。荒焼は、酒甕や水甕、壺など大型の容器を中心に作られており、沖縄の暑い気候に合った涼しげな印象を与えます。
上焼(じょうやち)
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上焼とは、赤土の上に白土で化粧がけをしたり、釉薬をかけた焼物のことです。約1200度で焼き上げます。釉薬には水漏れを防いだり汚れをつきにくくする効果もあるため、上焼は食器や酒器、花器など日用品が多く、壺屋焼の主流を占めています。
上焼は、透明釉や呉須など様々な色に発色する釉薬があり、焼き方によって色が変化するのも面白さの一つです。上焼は、やちむんの中でも特に色鮮やかで華やかな印象を与えます。
やちむんと窯の歴史
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壺屋焼は、戦後一早く復興した壺屋がやちむんのまちから中心市街地へ発展するとともに、窯の変化もありました。
人口が増えた壺屋では1960年後半から登り窯による煙害が指摘されるようになり、陶工たちはガス窯への転換を余儀なくされました。
登り窯とは、斜面に沿って積み上げた窯のことで、燃料に木や炭を使い、長時間かけて焼き上げます。
登り窯にこだわりを持つ一部の陶工は壺屋から読谷村へと工房を移し、登り窯を築窯しました。現在も絶やさず、火を焚き続けています。
登り窯で焼かれたやちむんは、ガス窯で焼かれたものとは違った味わいがあります。
やちむんが生まれる場所 主に壺屋や読谷村で作られる壺屋焼以外にも、県内各地でやちむんは作られていました。その中には現在も伝統を守り作られている焼物もあります。
沖縄本島北部 古我知焼
名護市古我知(こがち)の集落に窯があった「古我知焼」は、飴釉や黒釉を用いた施釉陶器が多く見られます。
飴釉とは、鉄分を含む釉薬で、焼き上げると飴色になります。黒釉とは、マンガンや鉄分を含む釉薬で、焼き上げると黒色になります。
古我知焼は、1800年代から途絶えていましたが、1974年に復興しています。古我知焼は、沖縄の自然を感じさせる温かみのある焼物です。
また、大宜味村根謝銘城(ねじゃなぐすく)の近くには「作場焼」の窯跡があったといわれています。作場焼は、荒焼と上焼の両方が作られていたとされ、上焼は青磁や赤絵などの技法が用いられていたといわれています。
沖縄本島中部 喜名焼
「喜名焼」は、読谷村喜名に窯があり、泥釉やマンガン釉をかけた陶器が出土しています。泥釉とは、陶土に水を加えて溶かしたものを釉薬としてかけたものです。
泥釉は、焼き上げると赤茶色や黒茶色になります。
喜名焼は、沖縄の焼物の中でも古い歴史を持ち、江戸時代には王府への献上品としても作られていました。喜名焼は、沖縄の自然を感じさせる素朴な焼物です。
沖縄市の「知花焼」は「喜名焼」と類似した点が多く、区別するのが難しいといわれます。知花焼は、荒焼と上焼の両方が作られており、上焼は青磁や赤絵などの技法が用いられていたといわれています。
那覇 壺屋焼
現在の県庁所在地周辺には湧田焼の窯があり、1616年に薩摩から招聘した朝鮮人陶工が指導した場所とされています。
その後、壺屋への統合が行われ「壺屋焼」が誕生しました。壺屋焼は、王府への献上品としても利用され、王府は焼物作りの発展に積極的でした。
八重山諸島 八重山焼
「八重山焼」は1724年に仲村渠致元が国王の命を受けて八重山に陶器の製法を伝えたことで発展しました。
当時は荒焼と上焼の製法が伝えられたといわれています。 西表島と黒島の間に浮かぶ新城島(あらぐすくじま)では、「パナリ焼」と呼ばれる、野焼きで焼成する土器が作られていたそうです。
パナリ焼は、釉薬をかけないで焼くので、土器の表面には炎の跡や煤の跡が残ります。
パナリ焼は、沖縄の焼物の中でも最も原始的な焼物といわれています。
やちむんの魅力を感じる
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以上が、沖縄の焼物「やちむん」の歴史と特徴についての紹介でした。
やちむんは、沖縄の歴史や文化、自然と深く関わっており、沖縄の人々の暮らしや心を表現しています。
やちむんは、様々な形や色、模様があり、それぞれに個性や魅力があります。
やちむんは、沖縄の伝統工芸としても認められており、県内で定期的に行われる陶器市には地元客だけでなく観光客も多く訪れ、やちむんを手に入れようとします。
やちむんは、沖縄の魅力の一つです。ぜひ、やちむんに触れて、沖縄の暮らしや心を感じてみてください。