やちむんの特徴とは?沖縄の魅力的な焼き物の歴史と文化を紹介します

沖縄に行ったらぜひ手に入れたいお土産のひとつが「やちむん」です。やちむんとは、沖縄の方言で「焼き物」のことで、色鮮やかな絵付けやぽってりとした形が特徴の陶磁器です。沖縄の暮らしや食文化に欠かせないやちむんは、長い歴史と豊かな文化を持っています。この記事では、やちむんの魅力に迫ります。

やちむんの歴史と種類を知ろう!沖縄の伝統工芸を楽しむ方法

やちむんとは何か、どのような特徴があるかを簡単に紹介

※写真はすべて陶芸宮城のものです(インスタグラムでも更新しております。メッセージで直接ご購入も可能です。

やちむんは、沖縄の方言で「焼き物」のことです。沖縄の家庭で今も日常的に使われている茶碗や飯碗、鉢や平皿などの陶器を指す言葉です。ぽってりと厚みがあるものが多く、どっしりとした面構えなので、大皿にどんと盛りつけた料理が似合います。以前は伝統的な模様を用いたうつわが主流でしたが、最近は若手の陶芸家が増えたことで、洋食などにも合わせやすいモダンなデザインも増えています。

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やちむんの一番の特徴は、絵付けの鮮やかさと躍動感のあふれる模様です。色は、沖縄の青い海を彷彿させるようなコバルトブルーや、棕櫚の木、南国の植物を思わせる緑(オーグスヤ)。またこれらの色と対になる茶色(飴)が多く用いられます。のびのびとした唐草模様や、印花(イングァー)と呼ばれる模様がうつわの上に踊ります。点打という、手描きの丸模様が乗ったものも象徴的なモチーフです。

やちむんの特徴とは?沖縄の魅力的な焼き物の歴史と文化を紹介します

やちむんは、沖縄の方言で「焼き物」のことですが、沖縄では「やむちん」と間違えやすいのですが、沖縄の言葉でやち=焼、むん=物を意味します。つまり「やちむん=焼き物」となり、沖縄で作られる焼き物が広く「やちむん」と呼ばれます。他にも、碗やどんぶりは「マカイ」と呼ばれ、さまざまなサイズが作られています。

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どんぶりは、そばマカイと呼ばれることが多く、沖縄そばを食べる沖縄ならではだな、という感じがしますよね。また、本土ではあまり見る機会がありませんが、抱瓶(だびちん)と呼ばれる、泡盛を入れる容器や、カラカラという酒器など、沖縄ならではのうつわもあります。

やちむんの歴史

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やちむんの歴史は古く、沖縄の焼物の始まりはおよそ6600年前に作られた土器といわれます。中世に入ると、徳之島で焼かれたカムィ焼と呼ばれる灰黒色の焼物や中国産陶磁器が沖縄へ入ってきます。

さらに15世紀には朝鮮、タイ、ベトナム、日本から陶磁器を輸入するようになり、古くは城の瓦などを主体に作られていたとされる沖縄の焼物も、こうした海上貿易などの影響を受けることで、焼物としての質が高まり技術の向上につながっていったといわれています。

やちむんとは、古代から現代まで変わらない沖縄の「ゆいまーる」の精神

1616年には、薩摩から招いた朝鮮人陶工である一六、一官、三官が湧田窯(現在の那覇市泉崎)で朝鮮式技法の指導にあたり、現在のやちむんの基礎を築きました。

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さらに1682年には王府が工芸産業振興制作の一環として、県内に分散していた知花、宝口、湧田といった複数の窯場を那覇市壺屋に統合。これが壺屋焼の始まりとなります。

当時焼物は王府への献上品としても利用され、功績を残した陶工を士族に列するなど、王府は焼物作りの発展に積極的でした。

壺屋焼は、沖縄の焼物の代表格として知られていますが、沖縄本島の北部や八重山諸島などでも、それぞれ独自のやちむんが作られていました。その中には現在も伝統を守り作られている焼物もあります。やちむんの種類や技法の変化を時代ごとに見ていきましょう。

沖縄本島北部

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沖縄本島北部では、古我知焼や作場焼などが作られていました。古我知焼は、名護市古我知(こがち)の集落に窯があった「古我知焼」で、飴釉や黒釉を用いた施釉陶器が多く見られます。

1800年代から途絶えていましたが、1974年に復興しています。作場焼は、大宜味村根謝銘城(ねじゃなぐすく)の近くに「作場焼」の窯跡があったといわれています。

沖縄本島中部

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沖縄本島中部では、喜名焼や知花焼などが作られていました。沖縄市の「知花焼」は「喜名焼」と類似した点が多く、区別するのが難しいといわれます。

知花焼は、沖縄市知花の窯で焼かれた南方系陶器で、水甕、味噌甕、鉢類が多いです。喜名焼に似ているが、素地や焼締めは硬く、胎土の粒子が細かいです。

全体の形状も美しく、壺、甕の胴紐が縄の形で巻かれ、黒褐色で、艶が少なく首が短いです。知花焼は、1682年に壺屋への窯の統合が行われる前に、王府への献上品としても作られていました。知花焼は、沖縄の焼物の歴史において重要な役割を果たしたといえます。

沖縄本島南部

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沖縄本島南部では、壺屋焼や兼城焼などが作られていました。壺屋焼は、沖縄の焼物の代表格として知られていますが、その歴史は1682年に王府が県内に分散していた窯場を那覇市壺屋に統合したことに始まります。

壺屋焼は、朝鮮式技法を基にしながらも、中国や東南アジアからの陶磁器の影響を受けて、独自の色彩や模様を発展させました。

特に、コバルトブルーの釉薬を用いた青磁や、鉄分を含む赤土を用いた赤絵が有名です。壺屋焼は、琉球王国の献上品としても使われ、高い評価を得ました。しかし、1879年の琉球処分や1945年の沖縄戦で壺屋の窯場は壊滅的な被害を受けました。

その後、復興の努力により、現在では壺屋の町には多くの窯元ややちむん通りがあり、観光客にも人気のスポットとなっています。

兼城焼は、兼城村(現在の南城市)で焼かれた焼物で、壺屋焼と同じく朝鮮式技法を基にしています。兼城焼は、壺屋焼よりも素朴で温かみのある焼物で、飴釉や黒釉をかけたものが多いです。兼城焼は、沖縄戦でほとんど失われましたが、1970年代に復興しました。現在では、兼城焼の窯元が集まる兼城焼の里があり、やちむんの体験や見学ができます。

八重山諸島

 

八重山諸島では、石垣島や西

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表島で焼かれた焼物があります。石垣島では、石垣焼や大浜焼などが作られています。石垣焼は、石垣島の石垣市で焼かれた焼物で、泥釉や鉄釉をかけたものが多く、素朴で力強い印象の焼物です。

石垣焼は、沖縄本島のやちむんとは異なり、琉球王国の支配下に入る前から作られていたといわれています。大浜焼は、石垣島の大浜地区で焼かれた焼物で、石垣焼と同じく泥釉や鉄釉をかけたものが多いです。大浜焼は、石垣焼よりもやや新しい歴史を持ち、明治時代に始まったといわれています。

西表島では、西表焼が作られています。西表焼は、西表島の西表村で焼かれた焼物で、石垣島のやちむんと同じく泥釉や鉄釉をかけたものが多いです。西表焼は、石垣島のやちむんとは異なり、琉球王国の支配下に入る前から作られていたといわれています。西表焼は、沖縄戦でほとんど失われましたが、1970年代に復興しました。現在では、西表焼の窯元が集まる西表焼の里があり、やちむんの体験や見学ができます。

やちむんの文化

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やちむんは、沖縄の人々の暮らしや食文化に深く関わってきました。やちむんは、沖縄の気候や風土に合わせて作られたもので、日常の器としてだけでなく、祭事や儀礼にも使われてきました。やちむんは、沖縄の人々の心や感性を表現するものでもあります。やちむんの産地や窯元、陶芸家など、やちむんを支える人々や場所についても紹介します。

やちむんの暮らしと食文化

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やちむんは、沖縄の人々の暮らしに欠かせないものでした。やちむんは、水や味噌、塩などの保存容器としても使われてきました。沖縄の気候は暑く湿気が多いので、やちむんは、水分を吸収して中のものを鮮度を保つ役割を果たしていました。

また、やちむんは、沖縄の食文化にも密接に関係しています。沖縄そばや豆腐よう、サーターアンダギーなどの沖縄料理は、やちむんの器に盛り付けられることで、より美味しく見えます。やちむんの色や模様は、沖縄の自然や文化を反映しており、沖縄の人々の食卓を彩ってきました。

やちむんの祭事と儀礼

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やちむんは、沖縄の祭事や儀礼にも使われてきました。やちむんは、神や先祖に供える器としても重要な役割を果たしていました。沖縄には、旧暦の正月や旧盆、新嘗祭などの祭事があり、やちむんの器に食べ物や酒を入れて神や先祖に捧げる習慣がありました。

やちむんは、神や先祖との交流の媒介となるものでした。また、やちむんは、結婚や出産、節目などの儀礼にも使われてきました。やちむんは、縁結びや子孫繁栄、幸福や長寿などの願いを込めるものでした。やちむんは、沖縄の人々の信仰や文化を伝えるものでもあります。

やちむんの産地と窯元

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やちむんは、沖縄の各地で作られてきましたが、その中でも特に有名な産地は壺屋と兼城です。壺屋は、那覇市の壺屋町にあるやちむんの産地で、1682年に王府が県内に分散していた窯場を統合したことに始まります。

壺屋では、青磁や赤絵などの色鮮やかなやちむんが作られており、沖縄の焼物の代表格として知られています。壺屋の町には、多くの窯元ややちむん通りがあり、観光客にも人気のスポットとなっています。

壺屋の窯元の中でも、特に有名なのは、金城窯、上原窯、島袋窯、宮城窯などです。これらの窯元では、伝統的なやちむんの技法を受け継ぎながらも、新しいデザインや表現を追求しています。

兼城は、南城市の兼城村にあるやちむんの産地で、壺屋と同じく朝鮮式技法を基にしています。兼城では、飴釉や黒釉などの素朴で温かみのあるやちむんが作られており、沖縄の暮らしに寄り添うやちむんとして親しまれています。

兼城の村には、兼城焼の窯元が集まる兼城焼の里があり、やちむんの体験や見学ができます。兼城の窯元の中でも、特に有名なのは、仲村窯、仲本窯、仲宗根窯、仲間窯などです。これらの窯元では、兼城焼の伝統を守りながらも、個性的なやちむんを作り出しています。

やちむんの産地と窯元は、沖縄のやちむんの歴史と文化を支える重要な存在です。やちむんの産地と窯元を訪れることで、やちむんの魅力をより深く感じることができます。

やちむんの特徴や歴史、文化のまとめ

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この記事では、沖縄の魅力的な焼物「やちむん」について紹介しました。やちむんは、沖縄の方言で「焼き物」のことで、色鮮やかな絵付けやぽってりとした形が特徴の陶磁器です。

やちむんは、沖縄の暮らしや食文化に欠かせないもので、祭事や儀礼にも使われてきました。やちむんは、沖縄の自然や文化を反映しており、沖縄の人々の心や感性を表現するものでもあります。

やちむんは、沖縄の各地で作られており、壺屋や兼城などの産地や窯元があります。やちむんは、沖縄の歴史と文化を伝える貴重な遺産です。

やちむんに興味を持った方は、ぜひ沖縄に行ってみてください。やちむんの器に盛り付けられた沖縄料理を味わったり、やちむんの産地や窯元を訪れたり、やちむんの体験をしたりすることで、やちむんの魅力をより身近に感じることができます。やちむんは、沖縄の魅力のひとつです。やちむんを通して、沖縄の歴史と文化に触れてみませんか?